日本でも大ヒットした「秘密」で2013年KBS演技大賞最優秀演技賞をそろって受賞したチソンとファン・ジョンウムの名コンビが再共演した「キルミー・ヒールミー」。
本作は、多重人格や幼少時の事件というミステリアスな要素を主軸に据え、次第に明らかになる主人公たちの繋がりと悲しい真実に心震える一方、「相手を守りたい」という主人公たちの“愛”に心温まり、更には随所で笑いをも誘う、至高の癒し系ロマンスコメディとなっている。
記憶との“再会”によって二人に訪れた愛と癒し…胸が熱くなるヒーリング・ラブコメディ「キルミー・ヒールミー」は4月2日(土)にDVD-BOX1がリリース!
―ファン・ジョンウムさんとは再共演でしたが、いかがでしたか?
ファン・ジョンウムさんとの相性は最高だと思います!僕の人生においてファン・ジョンウムという人はどれだけ重要な人物なんだろうと思うくらい、本当にいい縁だったと思いますし、最高のパートナーだと思います。僕の気持ちも理解してくれる、ありがたい存在ですし、僕を信じてついてきてくれたことにとても感謝しています。
―今回、多重人格という非常に難しい役でしたが、出演を決めた理由は?
「多重人格」というと善と悪の二つの顔を持つ場合が多いと思いますが、本作では7つも人格があるというのがとても魅力的でした。この役を引き受けた直後は、なぜこのような難役を選んだのか、プレッシャーはないのか、墓穴を掘ったんじゃないかなどと心配して下さる方も多かったのですが、僕自身は「全くプレッシャーがなかった」と言ってもいいくらい、7人の演じ分けに不安はありませんでした。むしろ、チャ・ドヒョンという人物の人生を、いかに現実味を持たせて演じるかのほうが難しいと感じていました。
―何人ものキャラクターを見事に演じ分けていましたが、演じ分けはいかがでしたか?
撮影前に現場でセリフの練習をしたりするんですが、人格が入れ替わる瞬間の演技って、はたから見ると多分、ちょっとおかしくなってしまったように見えると思うんです。「練習するから、ちょっと静かにしててくれよ。(役になりきって)“あ…あぁっ…!うっ…!”」とか、これを誰かに見られたらと思うとすごく恥ずかしと思いませんか?それで、セリフの練習のために一人でどこかに行ったり、スタッフに外に出てもらったりしました。でも、今回の役を演じる上で重要なのは、こうした“見せ方”の練習ではないんです。人格が入れ替わる瞬間の演技を考えるのではなく、“本当は別人格に変わりたくないのに変わってしまう”という状況を考えることに注力しました。簡単に言えば「嫌だ。嫌だ。嫌だ…」と唱え続けるという感じですね。そうすると本当に嫌になってくるので、その感情、その時の表現をつかみ取るようにしました。人格が変わるのが嫌で嫌で仕方がない、という気持ちを実感することさえできれば、もう演じるのは難しくありません。話している途中に突然「あ!」っと人格が入れ替わってしまうのは、一見すると「何をやっているんだろう」と見えるかもしれませんが、僕にとってはそれが自然な流れでした。
―チソンさんが演じられたそれぞれのキャラクターについてお話を伺おうと思います。まずは第1話から登場するセギから。セギは各話ごとに言葉遣いや声色が違いましたね。
第一話のシン・セギを見て「アイツは何なんだ?何であんなしゃべり方なんだ?」と思うでしょうね。主人格であるドヒョンと差別化するためでもありますが、この世の人間ではない印象を与えたかったので硬く低音で話すようにしました。回を重ねるうちに話し方が変わったと思われるかもしれませんが、そうではないんです。話をする相手によって話し方を変えたからなんです。例えば、対リジン(ファン・ジョンウム扮)の場合には、セギは怒ることができません。怒りを感じたとしても何とかして自分の中で消化しようとします。とはいえ、セギのちょっと幼稚なところではあるのですが、「怒らない」と言っても、言葉に出さないだけで、怒りの炎は燃えていて完全に表情に出てしまうんですよね(笑)。そんな幼稚な部分を、うまく見せられたらいいなと思っていました。反対に、セギは憎んでいる人の前では感情を爆発させます。そうですね、セギはある意味、一番素直なキャラクターだと思います。ドヒョンの中の人格の一つですが、自分が言いたいことを言い、セギなりの世界観や人生観がはっきりしているので、演じるのはそんなに難しくありませんでした。でも、「覚えておけ。2015年1月7日夜10時、お前に惚れた瞬間だ」なんて突然言うセリフは、やはり少しぎこちなさはありましたね。何度も練習することで、自然に言えるようにはしましたが。セギを演じながら思っていたことですが、本作を最後までご覧いただければ、こうした彼の一つ一つのセリフすべてが悲しみに満ちたものだということが必ず分かってもらえる、と確信しています。
―セギのファッションにもこだわりがあったそうですね。
セギの心には「リジンに良く思われたい」「リジンにかっこいいところを見せたい」「リジンに愛されたい」しかないんですよね。リジンに出会ってから髪の毛がだんだんと上がって、毛先もツンツンし始めます。そうしたことでリジンにいい印象を与え、自分を愛してくれるだろうと思うようになります。「俺がこんなにかっこよくなっているのに、お前は俺を愛さないわけはない」「なぜ俺を拒絶するんだ」「なぜドヒョンと比べるんだ」セギがいつも思っているそんな気持ちを、ヘアスタイルやメイクに反映させるようにしました。それから、「色」にもこだわりました。赤と黒で、“強さ”と“男の色気”を表現しようと思いました。スタイリストさんが他の素敵な衣装を持ってきてくださっても、「赤がいい。赤の服はどこ?」なんて言っていました。赤がない場合には、黒だけでも探しました。スタイリストさんが「これもいいと思うんだけど?」と言われても、「いや、赤がいい」「黒がいい」と言っていましたね(笑)。
―セギとドヒョンが対面する、鏡のシーンについて教えてください。
自分自身と向かい合う芝居は今回のドラマで初めて挑戦しました。最初の鏡のシーンは、僕だけでなく現場のスタッフ全員、緊張していたと思います。撮影スタッフは、僕が現場に入る2時間も3時間も前からリハーサルをしていたそうです。人との会話には、問いかける人と答える人がいて、答える側が話している時にも質問した側にはリアクションがありますし、質問している時も、聞いている側は何かしらのリアクションがあります。それを一人でやるわけですが、そうすると、誰もいないところに向かって、そこに誰かがいると仮定して、演じなければなりません。鏡の前で芝居の練習をしたりしますが、練習のために鏡を見てしまうと、今自分はドヒョンを演じているのに、鏡の向こう側にもドヒョンがいるので、練習にはなりません。ですから、ドヒョンの練習をするときには、鏡に映ったドヒョンの姿を覚え、セギの練習をする時には、鏡に映ったセギの姿を覚えるようにします。その後、少し休憩しながら実際にどのように編集されるかを想像します。もちろん、セリフがなくても何かリアクションはありますから、それも含めて徹底的に考えました。そして撮影の時には、鏡に映った自分を見ながら「あいつはセギだ」「あいつはドヒョンだ」と自分に言い聞かせてから撮影に臨みました。
―映像では、本当に二人が会話をしているように感じられました。
鏡のシーンは、今思い出しても本当に魅力的な撮影でした。役者になって15年以上たちますが、まだまだ芝居について学ぶことはたくさんあります。10年前くらいにこんなことを思っていました。「自分がいつかうまく演じられようになるとしたら、自分で思った通りの芝居がいつでもできるようになるとしたら、表現したいと思うことを自由に表現できるようになるとしたら、いったいそれはいつだろうか」「こうしてカメラの前に立つことが恐いと思ってしまう気持ちがきれいに消えて、演じることだけに没頭できるようになるのはいったいいつだろうか」と。そして、10年後にはそれができるようになっていよう、役者としての始まりは40歳からだと心に決めました。その40歳を前に、こうして「キルミー・ヒールミー」という作品に出会えたことは、僕にとってとても大きな意味を持っています。まだ役者として始まったばかりなのに、この作品でとても充実した芝居をすることができたので、10年後、20年後はもしかしたら、「自分の表現を本当の意味で自由自在に使いこなせる役者になっているかもしれない」と自分自身でもとても楽しみになりました。今、こうして話していてもあの割れた鏡のことがよく思い出されます。割れた鏡に映っている歪んだ自分の姿は、僕ではないように思えました。誰しも他人には見せたくない姿、自分だけが知っている歪んだ自分の姿があると思いますが、それが、あの割れた鏡に映るドヒョンの姿のカットに表現されているのではないかと思います。だから、ぼくにとってこのシーンはとても意義深いものでしたし、今もとても強く印象に残っているシーンです。
―セギに続いて、女子高生ヨナのキャラクターについて伺います。モデルにした人物はいらっしゃるのですか?
強いて言えば、母親にわがままを言っていた子供の頃の僕ではないかと思います。でも演じる時には、それを女の子に変えなければなりません。セギもとても自由なキャラクターに見えると思いますが、本当の意味で自由なのはヨナだと思います。何にも捕らわれずに「らららら~♪」という感じであちこち走り回って、オッパ(お兄さん)に会うための自分だけの人生を本当に楽しんでいると思います。まぁ、彼女の場合、格好よければみんな”オッパ”なんですけどね(笑)。彼女は、常にそういう心理で生きています。きっと誰かに止められても「なぜいけないの?格好いい人が好きなんだもん、仕方ないでしょ」って言いそうですよね。心のままにオッパたちを追いかけるヨナを演じるときは、とにかく“自由”であることを意識しました。ヨナの衣装に制服を選んだのは、女の子の服はたくさんありますが、”女子高生”を一番よく表しているのは制服だと思い、選びました。でも、僕は男性ですからスカートだけではどうしても違和感がある思ったので”女子高生”の雰囲気は壊さずにその違和感をぬぐえるものはないかと探していました。そうしたら、彼女たちがスウェット(体操着)をスカートの下にはくと聞き、「これはいい!」と思ってはくことにしました。でも、ロケの時はやっぱり恥ずかしかったですね。大勢のギャラリーがいる中で走るシーンを撮影したのですが、本当に恥ずかしくて。この気持ちは誰にもわからないと思いますよ。でも、「恥ずかしいのは今日だけだ、迷いは全て捨てよう!」と撮影に臨みました。頭を空っぽにして、心の赴くままに走りました。そうしたら気持ちがノッてきてエキストラの女子高生たちに「あんたたち、静かにしなさい!」「”先輩”って呼んでみなさい」なんて言ったりしていました(笑)。エキストラの女子高生たちとのやりとりのおかげで、かなりリラックスして撮影に臨めたことがとても記憶に残っています。
―撮影後半、ヨナのシーンで声が出なくなる病に見舞われたそうですね。
第18話あたりの撮影のときですね。それまではうまく体調管理もできていたはずなのですが…。第17話で感情を爆発させてしまうシーンがあってその撮影のときに声が出なくなってしまったんです。その日から次第に声の出が悪くなり、数日後には、本当に声が出なくなってしまったんです。撮影が始まる前に監督に声が出なくなったことを伝えました。監督は目を真ん丸にして慌てていましたね(笑)。僕はちゃんと声を出しているつもりでしたが、それでも声が全く出ていない僕を見て監督の顔から血の気がひいていくのが見えたようでした。崖っぷちに立たされるというのは、まさにこのことだなと思いました。その後の撮影では、俳優になってはじめて1話分を1日で撮影することになりました。しかも、8割は僕のシーンだったんですが、そのときに演じたのが高い声を出す必要があるヨナでした。「オッパ♪」というセリフは、ヨナになるためのスイッチのようなものなのに、このセリフが出ないために、もう泣けるくらい歯がゆかったです。これまで本当に苦労して“ヨナ”というキャラクターを作り上げたのに、高い声が出ないために、ヨナを演じることができないなんて!と。撮影が始まる前に一人になって、「オッパ!」「オッパ?」と練習したりしたのですが、やっぱり声が出ないんです。どうしようもなくて裏声で「オッパ♪」とイメージトレーニングしました。このドラマで唯一悔しさが残る放送回ですね。地団駄踏むほど悔しかったです。
―続いてヨソプについて伺います。ヨソプは自殺願望のある高校生で、こちらも非常に難しい役だったと思います。
誰しも年頃になると「大人は分かってくれない」「周りのみんなは楽しそうなのに、自分はこんなにも苦しい」と思ったり、極端な場合だと「もう、死んでしまおうか」などと思い悩んだ時期があったのではないでしょうか。ヨソプは、そんなことを思い出しながら演じました。そんなヨソプにリジンが病院の屋上で語りかけるシーンがあります。ジョンウムさんにカメラが向いていて、僕は映っていなかったのですが、セリフを聞いてボロボロと泣いてしまったんです。でも、カメラが僕に向いた時は泣くのを我慢しました。涙だけでそのときのヨソプの感情を表現したくなかったんです。リジンの話を静かに聞いていたかったんです。そのヨソプの姿が、全ての視聴者の姿であってほしいと思っていました。人生とは、生きてみる価値のあるもので、そんなに苦しいことばかりじゃないと。人生を終わりにしたいと思うくらい辛いときには「あと1日だけ生きてみよう」「まぁ、明日死ねばいいか」「今日一日だけ生きてみよう」そして次の日になったら「明日、死のう。今日、一日だけ生きてみよう」と。もしできるのであれば、ヨソプを通して、そうした勇気を伝えたいと思いました。僕もデビューしたての頃は「君が役者として成功したとしたら、三回まわってワンと言うよ!」などと屈辱的なこともよく言われました。今でも思い出したくないような言葉を言われ、「やっぱり役者をやめた方がいいのかもしれない」と挫折を味わったこともあります。でも、そこでやめなかったからこそ、いまこうしてここにいられるんですよね。
―40代の男、フェリー・パクはいかがでしたか?
彼のセリフに一つだけ、僕がアドリブを入れたところがあります。「たった1度きりの人生じゃないか」というセリフです。これはフェリー・パクを最初に演じた時から思っていたことで、フェリー・パクを通して、「生きる意味なんてそんなに複雑に考えなくてもいいんだ。たった一度きりの人生なんだから、深く考えずに楽しめ」とメッセージを込めました。あの“ザ・おじさん”という雰囲気の、愉快に方言を話す親しみやすい姿の彼が言うことによって、視聴者の皆さんに生きる勇気を与えることができるのではないかと思ったんです。そうした思いもあって、フェリー・パクには愛着がありますね。もちろん、全てのキャラクターにもそれぞれメッセージがありますから、やはり全てのキャラクターに愛着がありますね。
―全20話の中で最も多かったセリフは「チャ・ドヒョンです」でした。
僕にとっては一番難しいセリフでしたね。セリフの意味が難しいということではなく、本当に単純に「チャ・ドヒョン」と言うのが難しかったんです。何となく「ヒョン」がうまく言えていないような感覚なんです。「こんにちは。チャ、ド、ヒョンです」とゆっくり言えばもちろん発音できるのですが、テンポよく「チャ・ドヒョンです」と言おうとすると、やっぱりうまく発音できないんです。「こんにちは、チソンです」だと、ほら、ちゃんと言えてますよね(笑)。でも、役に入り込むと、僕が「チソンです」と言うのと同じように、ただ「僕です」「今、あなたが見ている僕の姿は、ただ、僕です。チャ・ドヒョンです」と自然に発音できました。
―「チャ・ドヒョンです」の言葉には、彼のどのような思いが込められていたのでしょうか。
チャ・ドヒョンを演じるときに一番重要だと思っていたのは、他の人格からチャ・ドヒョンに戻ってきた時の彼の心の動きです。死にたいほど辛かったと思います。自分の意思で生きることができない彼(主人格)の人生は、自分に意識が戻ってきたときに、一体何が起きているのかわからない不安感の中で、別人格が起こした事件や事態を収拾することに追われていたと思います。さらに自分が多重人格であるという事実を隠し、いつでも一人の「チャ・ドヒョン」であるように見せなければなりません。だからリジンに対して「チャ・ドヒョンです」というセリフは、時には微笑みながら、時には泣きながら言っていましたが、その裏には常に辛い気持ちがありました。
―本作での高い演技力が評価され、「2015MBC演技大賞」大賞も受賞されましたね。
「キルミー・ヒールミー」だけでなく、これまで出演した作品を通じて一歩ずつ着実に、自分の理想とする演技に近づけていると思っています。本作でも、「よくやった」と自分を褒めてやりたいです。それは、制作前に多くの方々から「ドヒョン役は難しい」と言われた中で出演を決断したからではなく、そうした周囲の意見に左右されず、自分がやりたい思ったことに挑戦し、そして、十分やり切ることができたからです。でも、完璧に成し遂げたというわけではありません。「このくらいでいいんだ」と、1%、2%であっても、今の自分に満足したくはありません。次も本作と同じように、自分の気持ちに忠実に、そして自分を褒めてやれるくらいに全力で取り組みたいと思います
―最後にファンの皆さんに向けて、メッセージをお願いします。
これまでの僕の人生で一番の作品を選ぶとしたら「キルミー・ヒールミー」になると思います。すでに本作をご覧になり、このドラマを愛して下さる方たちから、僕の芝居がとてもよかったとおっしゃっていただきましたが、僕の演技に全く興味がない方にも、ぜひ一度「キルミー・ヒールミー」をご覧いただきたいです。この作品がいつまでも長く愛されたらうれしいですね。